OCで私(医師)自身が変わった

きたのはら女性クリニック(宮城県仙台市)院長 北野原 正高 

 

 

 

まず最初に、東日本大震災の犠牲になられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申しあげます。仙台の私のクリニックにも多くの方々、特に避妊教育ネットワークの先生方からたくさんの励ましの言葉と数々のご支援をいただきました。心から感謝いたします。

 

クリニック開設

クリニック待合室2005年に仙台市でビル診療の婦人科として開業して6年になります。多くの女性にとって、婦人科受診は、かなり抵抗があると感じており、そういう心の垣根を少しでも低くしたいとの思いで開業しました。  当初から避妊法の一つとして経口避妊薬(OC)を提案するよう心掛けていましたが、利用者の数は伸びない状態でした。今思えば女性の身になって考えていなかったのかもしれません。

 

蓮尾先生、そして、避妊教育ネットワークとの出会い

 医療従事者のためのOC講演会in仙台開業して半年、青森の蓮尾豊先生と隣席する機会があり、OCの相談をした際、クリニック見学をお願いしました。先生は快く承諾くださり、蓮尾先生のクリニックへの訪問が実現しました。この訪問が、私のOCや避妊教育に対する考え方を大きく変えました。

蓮尾先生から学んだのは、避妊教育への情熱と患者さんへの思いでした。そして、それらを伝える言葉でした。それは、押しつけがましくなく、優しく暖かでした。心の中は「熱く」患者さんへは「優しく暖かく」。初めて心から学びました。

蓮尾先生からの薦めで2010年3月から避妊教育ネットワークの一員に加えていただきました。初めて参加した避妊教育ネットワークの事例検討会は大変情熱的でした。35人の先生方の「1人2分」の近況報告は2分では終わらず、先生方の「避妊教育への情熱」が、次第に私の心も熱くしました。事例検討会が終わっての強い疲労感と達成感、初めての経験でした。

 

まずは私(医師)自身が変わること

その後もネットワークの先生方に相談し、アドバイスをいただくことで、OCや避妊教育への不安が消え、情熱もアップしていきました。私の「言葉」も変わり、OCへのマイナスな言葉は使わなくなり、多くの女性に飲んでいただきたいという思いも伝えられるようになりました。スタッフにも学んだことを伝え、説明や指導を任せるようになりました。

私もスタッフも自然体でOCを提案し、処方し、対応できるようになり、自然に、OC処方が増え始めました。避妊教育を行う側の考え方が変わることで、避妊教育がより広がり、より伝わると実感しています。

 

OCの絆

震災当時、ビル最上階のクリニックの揺れは尋常でなく、内装が損壊、物品が散乱。自分とスタッフの無事に安堵しましたが、今後を考えると不安で押しつぶされそうでした。

そんな私を支えてくれたのはOCの絆でした。ネットワークの先生方からの多くの励ましの言葉と、OCユーザーとのメールのやりとりで、気持ちが前向きになれました。処方希望の方には渡すよう努力しました。待ち合わせて処方したり、勤務する会社までOCを届けたりしました。

3月31日、道路の復旧も十分でない頃、蓮尾先生が私を訪ねてくださいました。岩手から沿岸部の産婦人科や避難所を回り、被災地で性被害に遭った女性に対応ができるよう手助けをしたいとの思いから、連絡先と緊急避妊薬を配りながら仙台まで来てくださったのです。その先生の心に感激し、先生の行動力と思いに感動しました。先生の思いを引き継ぎ、私も仙台から福島県相馬市まで沿岸部の避難所や救護施設を回りました。

また、富山の種部恭子先生から東日本大震災被災女性サポート事業「パープル・ホットライン」の情報を聞き、地元新聞に何度か掲載いただきました。  蓮尾先生は「OCはコミュニケーションツールだよ」といつも話されています。震災を経験して本当にそう感じます。OCは絆です。患者さんとの絆。医師の絆。スタッフとの絆。避妊教育の絆。これからも絆を大切に、この絆を広げていこうと思います。

 

【略歴】

1990年、福島県立医科大学卒業。総合会津中央病院、いわき湯本病院、公立相馬総合病院などに勤務。2005年より現職。日本産科婦人科学会専門医、日本抗加齢医学会専門医、日本性感染症学会認定医、日本胎盤臨床研究会理事。著書『35歳からの栄養セラピー「妊娠体質」に変わる食べ方があった!』(青春出版社)