<4> ここまで来たか、若者たち! ― 東クリニック院長 東 哲徳 (2010.07)
ここまで来たか、若者たち!
―息切れしない思春期医学教育(性教育)を目指そう―
東クリニック院長 東 哲徳(あずま てつのり)
渋谷に開業して15年
終戦直後生まれの私には予想もしなかったITの展開である。インターネットによって日本の多くの文化に変化が起きようとしている。小学校時代、街頭のテレビに蟻のように集まり、プロレスラー力道山の一挙一動に固唾(かたず)を呑(の)みながら、興奮そのものに酔っていたあの時の人々は既にいない。あの時の人々の子や孫は、今や各自がケータイを有し別の文化の形成に進んでいる。
インターネット上では、けばけばしいありとあらゆる性風俗のサイトが横溢(おういつ)し、全ての年齢層の生活の一部を浸食している。特に十代後半の思春期女子にとって、自己確立のエレメントとしてインターネットは無視できない存在である。まさにインターネット症候群に苛(さいな)まれる世代のスタートだ。もちろんインターネットの功罪は各方面から問われ、次第に淘汰されることになるであろうが、こと性風俗に関してはどっこい廃(すた)れることはないであろう。
渋谷・笹塚に産婦人科を開業して15年目になる。場所柄、ほとんどの患者さんが若い人である。若年者の性行動は活発になり院内のアンケートでも初交年齢は明らかに低下している。それに伴う性感染症も増加傾向にあり、わがクリニックでも例外ではない。尖圭コンジローマ、ヘルペス、クラミジア、性器カンジダ症等まさに日常茶飯事。世は少子化問題で喧(かまびす)しいが、性感染症により卵管癒着等をきたし、若い人達が将来不妊になる可能性があることを十分に意識すべきである。
思春期医学の重要性
最近ピルの好影響のためか、やや減少傾向にあるとはいえ望まない妊娠も相変わらず見られる。性教育も時代と共に変遷し、その解釈も混迷の一途を辿(たど)っているようだ。一時期(今日もか?)、性教育に対するバッシングは、思春期教育に携わる良識ある人々を暗澹(あんたん)たる思いにさせた。
「先生、なぜセックスはみだらな行為なの? 新聞にそう書いてあった。私はみだらな行為でできた子どもですか」。全く正直な質問である。同じ性行動でも援助交際や買春、売春ではみだらな行為と表現される。性交は高尚な行為であり人類の種族保存の為には絶対不可欠なものであるのに。
私は教育と臨床は橋頭堡(きょうとうほ)(拠点)と感じている。一般人にとって教育は社会においてより実際的であり有用であるべきものと思っている。すなわち、学校で学んだことは現実社会において(特に身近なことは)、必要にして十分な役に立つものでなければならない。
現在の日本における思春期医学教育(私は性教育をこのように称したい)は英語教育と同じで、受験のためにシェークスピアやスタンダール等の難解な英文を翻訳できた学生が、いざ社会に出ると英会話はおろか身近な生活単語(ゴキブリ、冷蔵庫、携帯電話等)が出てこない。何のための学問だったのか。同様なことが性教育にも言えると思う。性感染症や避妊の知識こそ、保健体育で徹底的に教授すべきではないだろうか。そして高校・大学の受験科目にも加えるべきだと思う。
あわてず、あせらず,若者のと共に
思春期医学は究極的には「おもいやり、慈しみ」の教育だと思っている。適切な知恵(ピル服用)と我慢する気持ち(コンドームの使用)が奔放な性行動の結果を安全な方向に導いてくれる。これからの未来を背負って立つ若人の健康な心と体を管理援助することは、医師としてプロの知識と技術を十分彼らに与え指導することである。
近年、わが国の自殺者の数が増加傾向にあり、先進国のうちでもトップクラスである。国家構成の最小単位である「家族」の健康のあり方は単に身体的健康の管理だけでは意味がない。精神的健康のあり方は重要であるが、思春期医学教育はその一部として、極めて大きく範囲が重複する。急激な変化を好まない日本人は性教育についても同様である。
ゆっくり、あわてず、あせらず今後も若者達と共に歩みたい。
【略歴】
昭和21年宮崎県生。昭和43年米国ハワイ大学中退。昭和56年東京医科大学卒業。平成8年に渋谷区笹塚に「東クリニック」を開業。調布女子短期大学非常勤講師、東京医科大学非常勤講師、東京思春期保健研究会副会長、東京産婦人科医会常務理事、東京都医師会学校医委員会委員。
女性の思春期から高齢者までのトータルケアに力を注ぐ傍ら、思春期教育等の講演依頼も数多く、神秘的な生命誕生を通じた生命の尊厳を熱心に訴え続けている。また喫煙、とりわけ女性の体に及ぼす害悪を分かり易く訴えて、禁煙教育にも熱心に取り組むなど、精力的な活動を展開している。訳書「カラーアトラス産婦人科診断のポイント」(医歯薬出版)等。