やらなければならないことが、まだあまりにも多すぎます!

女性クリニックWe! TOYAMA(富山市)種部 恭子

 

 



思春期女性を診る産婦人科医目指す

第41回中日教育賞を受賞(2009年)高校生の時に意を決して受診した産婦人科の医師は、とても威圧的で配慮がなかった。「こんなオヤジが産婦人科医であることが許せない。自分が産婦人科医になってやる」と医師を目指したのが30年余り前だ。当時の産婦人科は性教育やヘルスケアとは無縁。腫瘍が専門の産婦人科学教室で学んだが、思春期の女性を診られる産婦人科医になりたいという希望をかなえるため、当時の教授が堀口雅子先生に教えを請うようにつないでくれた。堀口先生からヘルスケアを学ぶ情報源の一つとしてこの「家族と健康」の購読を勧められ、それから20年、この紙面に自分が原稿を書かせていただけることを光栄に思う。育ててくださったリプロダクティブ・ヘルス関係の先輩方に感謝したい。

 

体当たりの性教育開始 外来で出会う子は変化

卒後3年目の若造の分際で学校や地域に出向き、少し年上のお姉さんのつもりで体当たりの性教育を始めたことは、今思えば無謀。しかしその頃はそれで十分だった。携帯電話の普及前で、手を差し伸べるべきはごく一部の子どもだけ。性教育講演を通じて小さなネットワークを作り、思春期外来という受け皿でその子どもたちを支えれば、手ごたえも十分。講演を聞いている中には中絶経験者や性感染症既往を持つ女性がいるであろうことをいつも意識し、決してペナルティにすることのないよう心がけてきた。すべての女性に確実な避妊と性感染症予防の知識と、その手段へのアクセスが提供されるまでは、中絶は社会としての責任だと思うからだ。卵管閉塞に対して体外受精を提供してきたのも、クラミジア感染をペナルティにしないためだ。

それから17年、いつしか自分も思春期の子を持つ母の目線になり、向き合う子どもたちの様子も随分変わった。年間60回ほど中学・高校へ性教育の講演に出向いているが、1時間の講演で伝えられることはごくわずか。性交後に引き受ける問題を予測させ、望まない妊娠や性感染症を防ぐための知識を与えることに限らざるを得ない。どう捉えどう実行するかはあくまで本人の生きる力にかかっているが、この部分は講演や学校の授業などで育むことができるものではない。

一方、外来で向き合う子どもたちは、手首から肩までびっしりとリストカットの傷が並ぶ少女、体重が30㎏を切り生命維持の限界が迫ってもまだ「やせたい」と訴える少女、ヘルペスの痛みで排尿困難があるのにぬくもりを求め今晩の援交相手を探す少女、など。彼らには、等身大のままで受容され、安心して生活できる居場所がない。性教育講演でも聴衆の中には中絶経験者だけでなく、居場所のない子どもや被虐待児がいることを意識しなければならなくなった。この子どもたちの様子をアウトプットとして捉えるなら、自分のやってきた活動は全く無意味なのではないかと年々無力感は増すばかりである。

一人でも多くの若者に何かを残せる性教育を

性教育は、叩かれることはあっても評価されることはない。評価できる指標もないまま突っ走り、無力感のあまりあきらめかけていたところに、最近エンパワーされることが二つあった。一つは避妊教育ネットワークを通じて、全国で孤軍奮闘している熱い仲間がいることを知り、孤独で無意味な戦いではないと思えたこと。もう一つは、これまでの性教育への取り組みが評価され、2009年10月に中日新聞社から第41回中日教育賞をもらったこと。早速副賞の賞金でエイズ迅速検査キットを買い、エイズ予防キャンペーンとして大学祭で「無料迅速エイズ検査&コンドームの達人講座」を行った。

まだやらねばならないことが山積みで、時間がどれだけあっても足りないが、一人でも多くの若者の心の中に何かを残せるよう、もうしばらくあきらめないで正面から向き合ってみようと思う。

【略歴】
1990年富山医科薬科大(現富山大)医学部卒。富山医科薬科大附属病院、済生会富山病院等を経て、2006年より現職。富山県医師会常任理事、富山県産婦人科医会顧問・性教育委員、富山県教育委員会教育委員、富山県男女共同参画審議会委員。