性教育と避妊教育、自分にできることを模索して

針間産婦人科(山口県宇部市)院長 金子 法子

 

 


 

 

ピル処方により中絶減少

大学の医局に在籍していたころ、私がどんな医者になるのか周りも興味津々だったように思います。恩師も「女性医師が認められるには2倍も3倍も努力しなくては駄目だよ」と明言されました。その言葉を胸に、長男出産時も産前は無休、産後も2か月の産休のみで、関連病院の一人医長をこなしていました。

しかし1998年に、次男が生後6か月で白血病を患い、闘病生活を送りながら勤務医を続けるのは無理と判断して、実家の産婦人科で父と共に働くようになりました。そんな中、2001年父が脳出血で急死し、突然の一人院長となりました。

建物もそのまま、スタッフもそのままの中で、何か私らしいことをしたいと考えていた矢先に出会った北村邦夫先生の講演は、これから先、避妊教育にはピルの普及が不可欠と思っていた私の気持ちに、その熱きノウハウを学ぶことで、加速度を増すこととなりました。

分娩を扱いながら、ピルの処方を増やしていくのは、時間もかかるし、最初はどうなることかと思っていましたが、ピルの処方数の増加と、人工妊娠中絶の減少が反比例していく様はとてもやりがいがありました。現在は1か月のピル処方が900シート前後、人工妊娠中絶は10件足らずです。

ただ年に数件ある中期中絶はほとんどが中高生で、性教育の遅れを痛感しています。

 

定時制高校の講演で涙

性教育の講演風景厚労省の反復人工妊娠中絶の防止についての仕事を2007年に北村先生、蓮尾豊先生らとご一緒させていただく機会に恵まれ、そのご縁で同年より避妊教育ネットワークのメンバーに入れていただきました。

一人で年間分娩270件程度を診ながらの性教育活動はなかなか遠方までは行けませんし、限りはありますが、年に20件程度講演を行っています。

私の講演は決してスマートなものでなく、時にはその日にあった分娩の胎盤を持って行き、子どもたちに集まってもらって説明したり、胎児の人形と骨盤の模型を持っていって、会場を廻りながら「赤ちゃんが出てくるのってすごいでしょう!」と出てくる様を再現してみたり、「恋→愛→性交、この三つに共通する文字は何?」「心でーす!」「そうだよ!性交は心が生き生きして交わると読むんだよ!」と熱く語ったり。

性教育の講演風景あとでいただく子どもたちの感想文は私の宝物です。何もなく生まれてくると思っていた命。流産や奇形なども含めて、生まれてくるまでの長い道のりは、子どもたちにとって、当たり前と思っていたことがそうではなく、奇跡的で神秘的であることに驚き、親に感謝したい、友達と仲良くしたい、などの感想文が多く、性教育は命の教育であるといつも再確認させられます。

もちろん中3、高校生くらいには避妊方法や、性感染症の話もしっかりして、その学校の様子で話す内容も変えています。最近一番印象深かったのは、とある高校の定時制の性教育で、初めての夜の講演に出向くと、そこは携帯電話を片時も離さず、私語もお構いなしの教室でしたが、一時間、かなりやんちゃなお姉ちゃんお兄ちゃんたちが徐々に話に集中してくれて、終わって皆から握手を求められた時は、不覚にも泣いてしまいました。


「命と自分を大切に」
 最近は性教育の時に話したHPV子宮頸がん予防ワクチンを接種しに親子で来院される方も多く、また長く性教育をしていると、中絶をし、そしてたとえパートナーが変わっても、お産もうちでする子も多く、その子の成長ぶりを共有できる幸せを感じています。
 山口はまだまだ性教育に積極的な医師が少なく、システム化することは難しいですが、行政の力と、避妊教育ネットワークの先生方の熱い思いと、お知恵を拝借して、これからもたくさんの子どもたちに命を、自分を大切にしていく教育ができたらと思っております。

【略歴】
1989年、川崎医科大学卒業。同年山口大学医学部産婦人科学教室入局。国立下関病院(現関門医療センター)、山陽中央総合病院、山陽小野田市立病院勤務を経て、1998年より針間産婦人科(1968年開業)副院長。2001年より現職。「敷居の低い産婦人科」をモットーとしている。日本産婦人科学会、日本母性衛生学会、日本更年期学会、日本性感染症学会、日本産婦人科乳癌学会等会員。2007年より、厚生労働科学研究費補助金「反復人工妊娠中絶の防止に関する研究」班メンバー。避妊教育ネットワークメンバー。性教育の学校講演をはじめ、避妊教育活動等、診療の傍ら、積極的に啓発活動に取り組んでいる。日本産婦人科学会認定医。母性保護法指定医。山口県産婦人科医会理事。