志高い仲間たちに支えられ、少しずつ歩み始めました 

桜井氏

桜井産婦人科医院(福島県郡山市) 桜井 秀

 

 

 「今日は90分間全部、避妊の話をしますよー!」……4年前から始めた地元女子大学2年生の医学講義。かつては母校の教壇に立ち、「最後まで誰も居眠りしない講義」をすることが目標でもありました。それは開業で志半ば、叶わぬ夢となったため、医学部ではありませんが喜んで受けた仕事でした。

OC実践セミナー in 仙台 2008年4月20日 年間30コマという膨大な内容は医療に関するものであれば内容は自由ですが、半分以上は必然的に女性の心や体に関連したものとなります。高齢者医療や慢性疾患の講義中はさえない表情の学生達ですが、月経や性感染症、妊娠出産など、自分達に身近な内容の時はさすがに目の輝きが違います。講義中や終了後でも容赦なく質問が飛んできます。

 20歳とはいえ、実は神秘的な人体のしくみに関してはまったく無知な反面、知識欲が強く、根がまだまだ純粋なので何でも素直に覚えてくれるのです。そんな大学の講義と並行して、中高校での思春期医学教育の機会も徐々に増えてきました。


OCとの出会い

 私が思春期医学教育の重要性に気付いたのは、はずかしながら最近の事です。1999年に日本でも低用量ピル(OC)がようやく認可された頃は、長期的に子宮体がんや卵巣がんの予防には有効だろうけど、どうせ副作用もあるだろうし……と、その存在そのものをあまり意識しませんでした。当院を継承した2002年にはまだ出産も取り扱っており、若さゆえがむしゃらに出産にかかりきりでした。  そんな中、毎月30人ほどの中絶手術後の女性の心や体のケアにはかなり手ぬるかったのが悔やむべき事でした。OCを語る当時の自分はとても未熟でもあり、自分一人で何でも済ませようという頑固な姿勢も反省すべき点でした。避妊指導をしている真っ最中にタイミング悪く、分娩室から「先生大変!早く来てください!」なんてこともよくありました。そんな時は残念ながら、ほとんどの避妊指導は中途半端でおろそかな結果に終わっていたのです。  県内の複数の医療機関をさまよいながら、何度も同じ過ちを繰り返してしまう患者さんも散見され、これじゃだめだ……彼女たちの健康を守ることこそ、これからの自分の役目とばかりに、いつしか反復中絶の根絶に独りもがき始めました。しかし周囲から聞こえてくるのは「中絶はビジネスになるからなぁ……」という同業の産婦人科医師として信じ難い何とも冷やかな声ばかり。これらの声が反面教師的に、密かに自分の心の情熱の炎を大きくしていったのだと思います。


ネットワークの一員に

 OCの魅力にとりつかれる反面どんどん孤独に陥るというモヤモヤの最中、私を救ってくれたのが、OCセミナーで知り合うことが出来た蓮尾豊先生と井上聡子先生の誘いで加入させていただいた「避妊教育ネットワーク」の存在でした。年2回の事例検討会への参加で少しずつ知りあえるメンバーは、皆志が高く経験豊かな避妊教育の先輩達。しかし意外にも、実は誰しも自分と同じ悩みを抱いていることもわかりました。  今ではこの会の存在そのものが、内気で引っ込み思案な自分の背中を日々力強く後押ししてくれ、日々のモチベーションの維持にも大きく作用していると感じます。


OCと夢

私が患者さんにOCを語る際、あたり前かもしれませんが、自分なりに大切にしていることがあります。 ①「ピル」「ホルモン」という単語使用をなるべく避け、患者さんのキャラクターに合わせた説明をする。 ②一流アスリートや欧米の女性達がOCを味方にして活躍している具体的な話をする。 ③服用を決して強要せず、患者さんの自己決定権を尊重する。 ④喫煙者には同時に「喫煙そのものの害」を知ってもらう。  OCは女性の健康意識を高めるツールに成り得、OCの普及が、2割前後と低迷している日本の子宮頸がん検診受診率までも底上げしてくれそうな力を秘めているのでは?と日々感じています。そしていつかこの国でも、全てのOCユーザーが人前で堂々と服用できる日が来ることを願うと同時に、「3・11」で心に大きな傷を負ってしまった地元福島県の女性達に、自分の微力が少しでも役に立つ様、一歩一歩前進して行こうと思います。


【略歴】

1968年福島県生まれ。獨協医科大学・同大学院卒。獨協医科大学病院勤務。癌研究会附属病院(現がん研有明病院)勤務等を経て2002年12月より現職。福島県産婦人科医会思春期委員会避妊指導員。郡山女子大学非常勤講師。 【趣味】音楽鑑賞(クラシック・ヘビメタ・プログレ・ジャズ)で心の洗濯、下手なドラム演奏など